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SMAP独立を無慈悲に粉砕した工藤静香の「シナリオ」|中居正広の描く「独立計画」

中居正広が計画した『SMAP』の移籍は、一部のメディア関係者は知っていたものの、計画を応援する者ばかりだったため、用意周到に準備が進められていた。



「ジャニーズ事務所に接したことがある人間なら、こんな理不尽な芸能事務所に力があることが我慢できないはずです。『ほかの事務所がYESでも、うちがNOならNOと言え』という態度でしょう。SMAPを応援している人は、『うまく脱出してくれ』と願っていました」(芸能雑誌編集者)

ところが、計画が公になった際に木村拓哉だけが翻意をし、ジャニーズ事務所に残留することを決めた。当時のジャニーズ事務所内におけるタレントの序列は、近藤真彦、東山紀之、中居、木村の順だった。将来的にはジャニー喜多川社長からジュリー喜多川副社長に代替わりし、タレントも役員に名を連ねるようになる。だが、木村は上が詰まっていることで上がり目はなかった。しかし、木村の妻の工藤静香の考えは違ったのだ。

「工藤は、役員の末席、だめなら部長職か末端の子会社社長でもいいと判断した。木村としては、このまま居ても偉くなれない事務所よりも、新天地で活躍したいという気持ちはあったと思う。ところが、工藤の説得で考え方を変えたというのです」(同・編集者)

工藤が独立計画をリークか



SMAPの独立説がくすぶり出したころ、同グループにはI氏というマネジャーが存在した。そして5人のメンバーとI氏は“一枚岩”とも伝えられていた。…

ところが、一部の男性誌と女性誌の報道で独立計画は崩壊し、『SMAP×SMAP』の生放送で謝罪することとなった。

「SMAPの独立説というのは降って湧いてきたわけではなく、実は5~6年前からあったのです。そして機は熟した。さあ、みんなで出ようという瞬間に、ほんの一瞬で頓挫しました。これが現実だったのです。では、なぜ、ああも脆く話が崩れたのか。簡単に言えば、そもそも木村は工藤の“命令”があるので、解散に揺れ動いたまま時が過ぎた。結局、明確な意思表示がないまま、解散へ向かってしまったのです」(同・編集者)

中居は、独立計画が崩壊する直前まで木村も独立するものと考えていた。そのため説得したことまでも明らかになっている。

「土壇場で木村は辞めないとなれば、それだけジャニーズ事務所へ強く忠誠を誓ったことが分かります。これが工藤の思い描いた木村の出世案でした。そこで中居が信用していない男性誌Bを中心に、女性誌などにも独立計画を一気にリークし、攻撃したのです」(ジャニーズライター)

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